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『ネパール・ヒマラヤ花紀行(2)-秘境ドルポの薬草探訪-』
 
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調査地概要

 ヒマラヤの王国ネパールは、中国とインドに挟まれた山岳国家だが、1846年から100年あまり鎖国していた。1951年に開国してからは待ちかねた登山隊や人類学者がどっと訪れ、ネパール西北部の辺境ドルポ(旧地名トルボ)にも調査隊が入る。1958年、川喜田二郎は京都大学の西北ネパール学術探検隊を率いて当地に入り、「鳥葬の国 秘境ヒマラヤ探検記」を記し、記録映画「秘境ヒマラヤ」でその神秘を衝撃的に紹介した。しかし、翌1959年のチベット動乱によりこの地域は外国人に門戸を閉ざされ再び鎖国状態になってしまった。1)  そして30年後の1989年に南部のみグループ旅行が解禁になり、1990年に個人旅行が様々な条件付きで解禁になった。2)
 私達が訪れたのは1995年の夏、調査地域はドルポ地方南部のシェー・ホクスンド国立公園内で、トレッキングパーミット(入域許可証)が容易に取れるルートである。中国国境の高地ドルポの中でも入口にあたる地域で、この南部地域に限りドルパDolpaと呼ばれている。更に奥に行くには別に許可が必要で、中国国境と近いこともあり、社会情勢によっては許可が出ないし、申請だけで一人あたり10日で700ドルも必要だという。2) 我々はヒマラヤ地域天然薬物資源研究会Society for the Conservation and Development of Himalayan Medicinal Resourcesという名称で、植物調査を目的に旅行しているので、トレッキングパーミットの他に、事前にネパールの森林土壌保全省植物資源局Department of Plant Resourcesに国際学術共同調査許可申請と、国立公園内採集許可申請を提出し、それぞれ許可を得た。
 ドルポの秘境たるゆえんはそのアプローチの難しさにある。首都カトマンドゥから直線距離で400?Hあまりだが車の通れる道が通じていない。陸路で入るには第二の都市ポカラから車と徒歩で12日を要する。また飛行機もダイレクトフライトはなく、一旦インド国境の町ネパールガンジーに飛び翌日ドルパの飛行場ジュファールに飛ぶのだが、夏は視界不良の為定期便が必ず飛ぶとは限らない。帰路、ジュファールの飛行場で、私達が乗る予定の飛行機が霧の為着陸できず、しばらく上空を旋回したのちにネパールガンジーに引き返してしまった。翌日には無事帰ることが出来たが、何日も待たされることもあるという。
 
 ドルポは6000m級の山に囲まれ、地形は険しく、ヒマラヤの雪解け水が谷を削り深いV字谷をつくっている。尾根から谷底まで標高差は1000m程あろうか。オーバーハングした岩場をひと一人やっと通れるよう削っただけの危険きわまりない箇所がいくつもある。川は氷河が解けた冷水で、流れが早いので現地の人でも川に転落し命を落とすことがあるという。橋が壊れて川沿いのルートが使えない場合は、5000m以上の峠越えのルートをとらなければ前進出来ない。トレッキングコースとしては難しいコースと言えよう。
 私達が訪れたのは7月下旬から8月にかけてで、季節は夏。当地はベンガル湾からの湿ったモンスーンがダウラギリ連峰に阻まれるので、ネパール東部にくらべて雨が少ない。乾燥した強風と強い日ざしで日焼けをしたものの、ヒルに吸血されることもなく、蚊の猛襲を受けることもなかった。標高が最高地点でも4000m未満なので重い高山病になることも、寒さに震えることもなく、その意味で想像したよりは快適なトレッキングであった。しかし装備は大変である。ドルポは農地が少なく食料に乏しいので、食材を現地調達出来ないため、米や灯油や野菜までカトマンドゥから運ばなければならない。また、トレッキングルートには宿泊施設や茶店、商店もないので、必要なもの全てを運ばなくてはならないのだ。そのため我々が出発する10日前に、先発隊のシェルパが荷上げのキャラバンを開始した。その点がメジャーなトレッキングコースと大きく違い、ドルポはその不便さゆえに旅行者も少なく、秘境たらしめているのだろう。

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美と健康を科学するフレグランスジャーナル社FRAGRANCE JOURNAL LTD.から発刊されているアロマの機能性(生理・心理的作用)と効用の学際的専門誌・季刊(2,5,8,11月)
AROMA RESEARCH 第3号」に収載されています。
http://www.fragrance-j.co.jp/books/info/aroma/aro-research2.html


Abstract

We investigated medicinal herbs in Dolpa of northwest Nepal for 18 days from July to August in 1995. This survey was cooperated with a joint team as 7 members of between Society for the Conservation and Development of Himalayan Medicinal Resources and Department of Plant Resources.
We collected medicinal herbs and took photographs of plant and video photography of plant habits. And we heard several information as usage, effect, local name, etc. from Lama Amchi who is Tibetan medical doctor and also temple priest in Gompa budda temple of Ringmo (3640m).
As a result, about 520 specimens consisting of 200 different species were made by our members, and the specimens and their photographs were kept in our gardens between Japan and Nepal. We kept photographs and video photography with Photo CDs including their 540 photos. Some raw materials for natural medicine were presented by Lama Amchi of Ringmo.

Survey of Wildflowers in the Nepal Himalayas (2)
Exploration of Himalayan Medicinal Herbs in Dolpo of Western Nepal

Takashi Watanabe 1), Haruko Watanabe 2), and Kuber Jung Malla 3)
Medicinal Plant Garden, School of Pharmaceutical Sciences, Kitasato University 1)
Parks and Greenery Section, Itabashi city Office 2)
Royal Botanical Garden, Department of Plant Resources, Godawari, Lalitpur, Nepal (Scientific Officer) 3)





シェイ・フォクスンド国立公園内にあるフォクスンド湖畔


キンポウゲ科のクレマティス(Clematis sp.)

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